運命の事故から約8ヶ月後の2006年9月4日。
私は、屋内練習場にいた。復帰後初滑りは、当時通いこんでいたスノーヴァ新横浜だった。
おろしたてのヘルメットをかぶって、ハーフパイプのスクールからやりなおした。
ゲレンデの最上部まで、エスカレーターで登り板を置いて、バインにブーツを留める。
手術をする、という覚悟を決めてから、夢にまでに見たこの瞬間が、ついに訪れる。
板を履いて下まで滑り降りる。
ほんの数秒間だったろう。
不思議と、涙は出なかった。
それよりも湧き上がってくる喜びに心が踊った。
再び滑ることができる幸せを、心から噛み締めた。
このときの私の古いブログには、こう書かれている。
復帰して思った事。
やっぱりスノーボードは最高だァ!!
こんな素晴らしいスポーツを作ってくれた神様に感謝♪
あの日、もうスノーボードは一生できないと絶望した。
だけど、ほんの少しの勇気と、家族の絆と、たくさんの偶然の繋がりが、私を助けてくれた。
私なんかよりもっとずっとつらい思いをしている人はたくさんいる。私が凄いなんてこれっぽっちも思っていない。だけど、不安に苛まれ、人生のどん底にいた30歳の若者は、あのとき確かに、そこに居た。人間の生命力の強さや、人は心のある動物だということをこのときほど感じたことはない。そして人を救うのは、いつも人だということも。
この経験を通して得た最大の財産は何か?
それは、それまで利己的に生きてきた私が、初めて利他の気持ちを持てたことだ。新たな出会いにいつも感謝しながら、私は、私が持てるチカラを、繋がった先の誰かのために使っていきたいと、心に誓った。
こうして、私の網膜剥離からの復帰までの、苦悩と成長の物語は、幕を閉じた。
(エピローグに続く)