電磁波に撃たれて眠りたい!

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オンライン大前提時代に問う「コミュニティの本質」

先日、TAKAKING22 (@TAKAKING22) / Twitter こと 及部 敬雄 さんが、こんな内容をTwitterにポストしていました。クラウド/アジャイル界隈でもちょっとバズっていたので、見た人も多いかもしれれません。

該当のスライドはコレ

speakerdeck.com

私は、この投稿を見て私は個人的に心が震えたました。なぜというと、実はつい最近、私の身近でこんな事件があったからです。

これまでオフラインを前提とした社内コミュニティの勉強会運営は回数も
相当数こなしていて、集客はいつも100人超が当たり前だった。
どうすれば参加者が集まり、どうすれば満足度を上げられるのか、
それなりの自信もあった。

コロナ禍に入り、新たに別のコミュニティを立ち上げた。
このコミュニティではオンラインを前提として勉強会が開かれていて、
こちらも同様に常に100人規模を集客できるまでに育っていた。

コロナが落ち着いてきたところを狙って、このコミュニティ初のオフライン
勉強会の開催を予告してみた。

久々のオフライン会に心踊る運営メンバー。

そして迎えた締切当日。

なんと参加者は 4人 しか集まらなかった。

この事実を見て、私を含めた運営メンバーは衝撃を受け、絶句してしまいました。

そんな時、ほんとうにいいタイミングで及部さんがこのスライドを上げていて、あまりにも的を射すぎていて心が震えたというわけです。

なぜオフラインに人が集まらなかったのか?

これについては色々悩んでいたのですが、結論としては、

「オフラインとオンラインでは根本的に集まる人の質が異なる」

というところに帰結しました。

及部さんの資料から引用しますが、

要は、オフラインではこのコアなメンバー(運営+常連)の周りにいる、熱心なコミュニティコントリビューターが、コアなメンバーに惹かれて集まってきたわけです。(図でいう3つの輪の中間層)

ところが、オンライン前提に切り替わった時、この中間層にいるメンバーと、ともすれば真ん中の輪にいる常連も含めて、参加者から離脱します。理由は単純で

「コアなメンバーと会って話ができないから」

「勉強会は懇親会からが本番だ」という有名な言葉がありますが、それはまさにこのことを指していて、コミュニティとは同じ感心軸に集まったいわゆる信者と、その信者のファン(のようなもの)で構成されていて、極端なことを言ってしまえば、勉強会のコンテンツは集まってお話をするための言い訳に過ぎないのです。集まって話すためのオカズやツマミがその勉強会のテーマであり、オカズやツマミ1品さえあれば延々に話せるコアメンバーと、その話に一緒に混ざりたいファンでコミュニティは構成されていたわけです。

オンライン前提になり、勉強会前後に行われる対話がなくなり、情報共有は発表者側からの一方通行。終わった後にオンライン飲み会を設定したところで結局クロストークや人の入れ替え、入れ替わりができないことから徐々に廃れ、結果的にいつも同じメンバーが集まるようになってしまいました。(私はこれを「コミュニティの村化」と呼んでます)

オンラインに人が集まるのはなぜか?

そうであるならなぜオンラインに移行したのに同じかそれ以上の人を集めることができたのか?

この理由は主に2つあると思っています。

1つめは「これまで届かなかった人に届くようになったから」

オフラインを前提とした勉強会では、どうしても物理的な制約(距離)や時間的な制約(移動時間)があり参加できなかったり、またコアメンバーとファンという輪に入りにくいという障壁がありました。だからこそ一度輪に入ればファンになりやすかったりという集団心理も働くのですが、どうしてもリーチする先には限界があります。

オフライン時代には「オフラインプレミアム」といって、ストリーミング配信もアーカイブ配信もされないことが当たり前であり、むしろその場に行かないと手に入らない情報があることこそが美学のような雰囲気がありました。私もその美学を貫いていた1人でした。

しかしオンライン前提となった今、ほとんどの勉強会はオンライン配信/アーカイブ配信され、こと本編に限ってはオフラインプレミアムは無くなったと言えます。ここがミソで、これまでしっかりとした動機と勇気がなければいけなかったコミュニティ勉強会に「興味本位」で参加できるようになったのです。距離的制約も時間的制約もなくなり、そして人為的障壁もない。

ただただ情報を「知ってみたい」と思うライトユーザーや、育児真っ最中の人、地域在住の人にとっては、これほど有り難いことはないわけです。先ほどの図でいうところの、一番外側の輪にいる人がかんたんにコミュニティが発する情報にアクセスできるようになり、しきいが大きく下がったのが原因といえるでしょう。

2つめは「コロナ禍で生活のしかたそのものが変わったから」

コロナ禍によってオンライン前提の時代になり、人は移動が無駄であることに気づいてしまいました。移動しなくてもできることに価値を見いだせなくなり、オンラインでやっているならそれを見ればいいという考えに変わったはずです。

じゃあ、オンラインをやめてすべてオフラインにすればいいか?といえばそんなかんたんな話ではありません。先に説明したとおり、コアなメンバーと熱心なファンの関係は既に瓦解しているうえに、そのコアなメンバーや熱心なファンですら、このオンライン前提の社会の洗礼を受けてしまったのです。

これまでせっせと現地に脚を運んでいた人たちも、新しい生活様式に順応し、移動を行わなくなり、家族や親しい有人とすごすことに時間を当てるようになりました。あれだけオフラインが重要だと言い続けていた私自信ですらそうなのですから、はじめからコミュニティへの感心が高くない人にとってはもはや当たり前のことになっているはずです。

そうなると、中間層にいたメンバーも輪の外側に移動してしまい、オンラインでなければ参加しない存在に変わってしまった可能性が高いわけです。

そして誰もいなくなった

これは何もわたしのコミュニティに限った話ではないはずです。

きっとオフラインからオンラインを経て、オフに戻したことで混乱したコミュニティは多数あると思います。下手をすると活動休止や解散に追い込まれたものの少なくないんじゃないでしょうか。

このコロナ禍、そしてアフターコロナを迎えるにあたって、コミュニティの本質がどこにあるのか?を根本的に考え直さないと、そのコミュニティの存続に直結してしまう恐れがあります。

私もうんうんうなりながら考えてみました。

冷静に「コミュニティとは何か?」を考え直してみる

ここで再び、及部さんのスライドを参照します。

そもそも、コミュニティは「同じ感心軸に集まった者たちの情報交換の場」であったはずです。正しい表現かはわかりませんが、言ってみれば「モノ好きの集まり」だったわけです。

ここに勉強会をベースとしたコミュニティ活動が生れたことで、考え方がネジれがはじまりました。

勉強会で人を呼んでコミュニティを形成する。

同じ感心軸の仲間を集めたい。その目的で勉強会を行うなら間違っていません。

しかし、

結局、楽しくコミュニティ活動をするはずが、いつの間にか勉強会で人數を集めることが目的となってしまい、そのためにテーマを決め、コンテンツを決め、登壇者を調整し、開催し、フィードバックを広い、もっと良い勉強会を開こうとする・・・

それでもオフラインで開催しているときは、運営側も登壇者や参加メンバーと親睦できるからまだよかった。しかしそれがフルオンラインになり、発信は一方通行で対話もなく、デジタルなアンケートのみのフィードバックしか受けられなくなる。

このコミュニティの運営メンバーは、いつしか同じ感心軸で集まった仲間というよりも、勉強会運営会社、もっと言ってしまえば、より高い視聴率を稼ごうとするだけの「TV番組プロデューサーチーム」のようになっていきます。

「同じ感心軸に集まった者たちの情報交換の場」

は、どこかにいってしまいました。

これはもう、コミュニティでも何でもありません。

ではどうすればいいのか?

正直いうと、私にも正解はわかりません。

が、及部さんがいいヒントをくれました。 むしろ、今日の投稿はここに行き着くための前フリだったといえます。

この3つの提案

  1. たまり場をつくる
  2. 定期的に集まる
  3. 持続可能なコスト配分

見た瞬間、最初に思ったのが、

「ああ、昔の”寄り合い”だな」

でした。言い方は古いですけど、たとえでいえば、毎週金曜日21:00に新宿のバー「XYZ」に行けば、例の仲間の誰かが必ず居る、というアレです。

なにか特別なイベントやコンテンツを用意しなくても、たまり場にいつもきまった時間にあつまり、ひとしきり話をして大笑いして盛り上がる。これは飲み屋じゃなかったとしても、ずっと昔のオンラインコミュニティには近いものがあって、勉強会という大きなイベントを開かなくても、週末のテレホタイムにあの掲示板に行けばあいつらと会える、そんなワクワクする想いを抱えながら、その時間がくることを楽しみに待っていた。そんな「不定形な集まり」こそが、いまでこそ「コミュニティ」よばれる「寄り合い」であったはで、そこに集まった人の熱量は、いまとは比較にならないほど熱かったことをふつふつと思い出しました。

「活発なコミュニティの維持のために、勉強会をセットにする必要はない」

もちろんコミュニティの存在を知ってもらう必要はあると思うので、PRの必要がまったくないわけではないとは思います。私自身もずっとコミュニティの認知度を上げ、活性度を上げ、集客数を上げ、そのためにプロモーションに力を使い続けることこそが正義だと思い続けてきました。

が、そのために莫大なコストとエネルギーと時間を使うことが、果たしてコミュニティの「質」を高めることにつながるといえるのでしょうか?

この問いに関して自分を納得させられる答えが、いまの私には見つけることができませんでした。



これが、私が導き出した1つの結論です。

やろうとおもっていること

及部さんからの提案をきっかけに導き出したわたしの結論が正しいかどうかはわかりません。 なのでこれらを正しいと仮定して、やってみたいと思ってることがあります。

  • いつも同じ時間、同じ場所に、同じ感心軸をもった仲間が集まるようにしておく。特別なイベントは組まない。単に「場所」だけを用意するだけ。オンでもオフでもどっちでもいい。出入りも招待も参加是非も自由。ただしSlackやTeamsを開いておくだけではダメ。定常開放、ではなく、定期集会、なのがポイント。

  • 集まって話す話題は別にテーマを絞らない。そもそも同じ感心軸をもとにあつまったコミュニティなのだから、何もしなくともそのテーマに関しての話題になっていくはず。私はこれをスノーボードやクルマのコミュニティで経験している。

  • 勉強会を開催するのは、「祭り」が起きたときだけ。この集まりで盛り上がったネタ、たとえばXXさんを呼んでもう少し話を聞いてみよう、とか、これについてYYさんと語り合ってみたい、とか、あるいはこの仲間内で、同じテーマについてちょっとしたネタを作って喋り合ってみよう、とか、いまでいう勉強会に近いコンテンツが立てられたときにだけ、公開式の勉強会を開いてみても良い。

  • 定期的な勉強会は開催しない。コミュニティのメンバーや何かについて学ぶということは例外として、外に対して準備のコストがかかるような定期的な勉強会は開催をやめる。

  • 集客、PR、アーカイブをやめる。積極的な集客告知もしないし、アーカイブも残さない。やりたければアーカイブしたい人が自分で残せばいい。マーケティング目的のDevRelコミュニティとは明確に区別する必要がある。

コミュニティは私一人のものではないし、ほんとうにこのまま実現できるかはわかりません。 が、集客人數ばかり気にするコミュニティはコミュニティじゃないと分かったので、もうその方向性に力を注ぐことは私はしないと思います。

もしこうやってコミュニティをリブートし、どういう結果となったのかは、またこのブログで取り上げてみたいと思います。