電磁波に撃たれて眠りたい!

今日も電磁波浴びまくりのIT業界で働く@mamohacyがガジェット/クラウド/IT業界を語ってくブログ

2023年の不調の原因は『自分が作っていた』という話

2023年から2024年にかけての冬休み。やっと長期休暇を頂いてゆっくり休む機会を得たおかげで、いろんなことに思いを馳せる時間がとれた。

23年は、怒涛の勢いで1年が過ぎていった。「辛い」という言葉以外思いつかないほど追い込まれていた1年だった。

精神的にも肉体的にも本当にギリギリで、年末に入る前あたりから体調を崩すことがしばしばあった。それでも仕事を休むことはなかったのだが、ついにプライベートでの活動に穴を開けるようになってしまった。

まさに限界 of 限界を迎えていたあたりが、私が個人でやっている「三島ワーケーション体験ツアー」のときだった。

このときの様子はnoteのほうに書いている。

note.com

他にもいろんな経験をしたはずだが、記憶にのこる「楽しい思い出」を思い出すことができない。 プライベートでの思い出も、まるで何年も前のようなセピア色に残っているイメージだ。

なぜなんだろう、なんでこうなったんだろう、どうしたら改善できるんだろう、と思っていたとき、積読にずっと積んであった本が目に入り、ふと手にとって読んでみたところ、全身に電気が走る衝撃を久しぶりに覚えた。年末に一気に読み切って、いまちょっと震えている。

この本の読書レポは別のブログに記載して後ここに追記するが、この本には、今まさに出会うべくして出会った、と言わざるを得ない。 何か運命じみたものを感じてしまう。それほどの衝撃だった。

99%の無駄を捨てて1%に集中する

そんなこと分かっていたはずだった。でもできなかった。いや正確には、やらなかったのだ。

クラウドに出会い衝撃を覚え、目指していた姿に近づくべく一心不乱に邁進したあと、ふと自分の仕事に疑問を感じた4年前。あるいは所属が子会社出向に変わることが決まった2年前。2度も立ち止まる機会と選択のチャンスがあったのに「本当に今のままでいいのか?」と振り返る時間を作らず、今ある道を進みながらずるずると進むことを選んでしまった。

「本当に重要なことは何か?」 それ以外のことは、全て捨てる。

この決断と行動が出来なかったことで、私は約4年間のあいだずっとモヤモヤした状態を続け、この1年間はそのツケが回って、より苦しむ状態を自ら作ってしまったようだ。

一体、何がいけなかったのか?

元々私はマルチタスクが苦手だった。複数のことを同時並行的に進めるのが極端に苦手な人間だ。逆に1つのことに集中することで圧倒的なパフォーマンスを出せることは知っていた。周囲にはマルチタスク的に見えている活動であっても、それは1つの軸に沿って枝葉が生えている活動であって、ベクトルはブレることなく、進んでいくクルマのハンドルは自分が握っていた。アクセルを踏むことも緩めることも自分でコントロールできたし、寄り道することもスリリングなコーナリングを楽しむのもまさに自由自在だった。もっといえば、もう向かう先を完全に明確にしていたから、操舵は自動運転にまかせてアクセルは床まで目いっぱい踏み込んでいるような状態が何年も続いていた。

しかし途中からその自動運転の目的地が分からなくなった。自分のクルマはアクセル全開の惰性で猛スピードで突っ走っているのに、その操作は自分の意思と関係なくなり、誰かの操作や指示になんとなく従って道を進んでいく状況が起き始めた。それでも、置かれた状況になんとか対応しながら、ベテランならではの小手先の技術でその状況に適応して、成果を残す(残しているように見せる)日々が続いた。

かくして、舞い込んでくるあらゆる提案を野放図に受け続けた結果、時間はなくなり、睡眠時間を削り、家族の時間を削り、体力と精神力を削り、やがて身体を壊した。

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本人に明確な意志がないのに与えられた機会を次々と受け入れて行った結果、余裕を無くし、時間をなくし、信頼をなくし、果てには記憶を失うことすらありました。

時間的に余裕が無くなると、心配りも余裕も優しさも失っていきます。そして学びの喜びも成長の苦しみも、それを体感する機会すら奪われていきます。何のために働いているのか、自分の活動が誰かの役に立っているのか、それを確認する余裕すらありませんでした。結果、心と体の両方の健康を害すことになってしまいました。

成功のパラドックス

「エッセンシャル思考」の本の中で、自分が最も感銘を受けたのが「成功のパラドックス」という内容だった。要約すると以下だ。


優秀な人ほど成功のパラドックスに陥る

  • 第一段階:目標に向かって一直線に突っ走り、成果を残す
  • 第二段階:その結果「頼れる人」になり、多様な仕事を振られるも、責任感からそれらを全部受ける
  • 第三段階:やることが増えすぎて時間と体力を浪費し、すべてが中途半端になる
  • 第四段階:本当にやるべきことができなくなる

成功したせいで、自分を成功に導いてくれた方向性を見失ってしまう


もうこれ以上ないってくらいに、思い当たるフシがありすぎた。

新会社の設立が決まったときも、コロナ禍になり三島での活動が起動に乗り始めた後も、誰かから与えられた選択肢や機会を、何の判断基準も意思も持たず、暗黙の了解ともいえる決断で採用してしまっていた。言ってみれば後ろ向きな「ハイかYESか喜んで」の姿勢である。

本当にやるべきことや、自分がやりたい、楽しいと思えることに時間が割けなくなった結果、方向性を見失うことと同時に健康を害してしまった。しかもより具合が悪かったのは、明確な意思を持って選択し発信していた過去の活動のしかただけを、この状況になっても変えなかったがために、「まもはしぃ号」は完全に制御不能に陥っているのに、まわりにはそれが明確な意思をもって駆け抜けているように見えてしまったことだ。これにより、成功のパラドックスでいう第二段階の状態がさらに加速していった。

まさに負の連鎖である。

昨年の不調の原因は全て自分が作っていた

さて、やっとここまできてタイトルにも付けた内容に迫ってみる。

この年末年始休暇の前あたりから、落ち着いてものごとを考える時間をかなり積極的に作るようにした。その結果、自分の置かれている状況を冷静に、俯瞰的に捉えることができるようになった。加えて、何人かの方に1on1を手伝っていただき、壁打ちをさせてもらう時間が作れたことで、かなり頭のなかが整理されていくのを感じ取ることができた。

要は、この凄惨な状況を生み出したのは、立ち止まる機会と考えるための時間を、自らの意思で作らなかった自分の責任である。 この状況が生まれたことを誰かのせいにして、何が悪いのかわからない、とずっとボヤいていたが、原因は非常にシンプル。完全なるブーメランだったのだ。

今後わたしがやらなければならないこと

じゃあ、どうすべきなのか?はまだ結論は完全には出せていない。だけど、今後私がやらなければいけないことは非常に明快だ。やり方については、「エッセンシャル思考」を参考にしている。

  1. いま自分が関わっていること、大切に考えていることを公私大小に関わらず全部書き出す
  2. プライベートと仕事に明確な境界線を設け、上記を両者に振り分ける
  3. それぞれ1つずつ選び、なぜそれを選んだのかの理由と選択基準を書き出しておく
  4. それ以外は全部切り捨てる=活動を完全に止める
  5. 自分のリソースを選んだものだけに振り向ける

プライベート>>>>>>>仕事であることを大前提とし、かつその双方が侵食しない関係を保ちながら、本当に大切なこと1つだけにベクトルを絞る。似たようなことを過去に何度かやったことがあるが、なぜそれを選んだのかの理由や基準を残したことはないし、ましてや「1つだけを選び、それ以外をすべて切り捨てる」なんて、考えたこともなかった。

非常にシンプルではあるが、相当に厳しい判断になると思う。今取り組んでいることの殆どは長い期間をかけて積み上げてきたもので、これを辞めるにはサンクコストが重くのしかかるであろうことは容易に想像できる。だけど、これを年末年始休暇が終わり業務が再開される前までに終わらせなければならない。そうでもしなければ間違いなくまだ業務に終われる日々に戻る。完全に元の木阿弥だ。

もう、仕事で体調を崩すなんてことは、絶対にしたくない。
「より少なく、しかしより良く」
不退転の決意で、自らに選択を迫ることにする。