退院後は、1週間後、1ヶ月後、3ヶ月後といった具合に、徐々に検査の間隔を長くしていく方式で、約半年間定期検査が行われた。
術後は当分の間、走ってはいけない/階段を昇り降りしてはいけない、バイクや自転車に乗ってはいけない等々なかなかの生活制限がかかった。段差などで不意に瞬間的な強い衝撃を受けてしまうと再剥離してしまう可能性があるからだ。中には、人混みの多い場所には行ってはいけない、という制限もあった。これは、もし人にぶつかってしまったら同じことが起きかねないためだ。さらに、重い物を持ってはいけない、トイレでいきんではいけない、というルールもあった。こちらは、力を込めることで血圧が上がり、眼圧が上がってしまうことを避けるため。
この「カラダは元気なのに動いてはいけない」という制限は、当時、エネルギーが有り余る若者だった私にとって、逆の意味で辛い日々だった。
退院1週間後(2006年3月7日)
退院後初の定期検診ため通院。問題なし。次回から定期診察がかかりつけ医に戻されることになった。
この日から洗顔フォームでの洗顔や軽い飲酒等々が解禁になった。左眼の視力は相変わらず微妙で、目の動きは全然悪い。両目ともとてつもない量の飛蚊症で非常にストレス。
退院2週間後(2006年3月13日)
この日から職場に復帰。しかし通勤は別の意味で困難を極めた。
このときは当然フル出社で在来線の満員電車で通勤していた。人混みを避け、階段を避け、人とぶつからないよう、なるべく歩く速度も落として通勤する。場合によっては遠回りもしていたから、徒歩区間に関しては普段の倍くらいかかっっていた。その姿はきっと明らかに不審者だったに違いない。
やっと社会に戻れるようになって、少しだけだけど動ける幸せを感じていたものの、ジョギングも、筋トレもできない。ゲレンデ復帰に向けて、落ちきった体力を戻したいのに。気持ちだけが逸る。
退院1ヶ月後(2006年3月29日)
かかりつけの病院にて定期検診。結果は良好。視力もほぼ問題ない所まで回復していた模様。
驚いたのは担当医が、この手術のレベルをベタ誉めしていたこと。私が受けたレベルのバックリング手術は普通は患者が痛がってしまうため、全身麻酔でやるのが普通なのだそうだ。メスを入れた結膜も跡が分からないくらいキレイになっているらしい。担当医曰わく、「相当の経験を積んだ人か、もしくは技術力の非常に高い人」だとのこと。私は本当に運がいい。
退院3ヶ月後(2006年5月16日)
ついにスポーツが解禁され、コンタクトの装着も許可された。コンタクトと眼鏡を新調し、この日から、ジョギングと筋トレを少しずつ再開。
退院5ヶ月後(2006年7月12日)
術後の回復は非常に順調で、退院後からの定期検診としてはこれが最後になった。
医師に今季の復帰について相談をしてみた。
そもそも目が弱い私は再び目に直接ダメージを負えば次は硝子体手術しかない。医師も大手を振って良いとは言えないのは事実だろう。だけど、この目には順天堂大学病院のゴッドハンドが施してくれた完璧な施術で対策が講じられている。リスクはゼロではなくても、多少のショックには耐え切れるようになっているはずだ。
医師とも相談の上、滑走時には必ずヘルメットをつけること、シーズン開始前と後に定期検査を受けること、そして激しくショックを受けたらすぐに検査に来ることの3つを約束し、ついに今シーズン復帰の許可が下りた。
私は小躍りした。
いよいよ、夢にまで見た、あの日が訪れる。
(続く)